日々是好日

世のアラフォー男に役立ちそうなことを徒然と綴りたいと思います。

ダブルバインドの連鎖から抜け出す

ダブルバインドとは

矛盾を伴う複数の命令で縛られ、かつ逃げることもゆるされないが、なんらかの応答をしなければいけない状態。なんらかの応答をしようとすると命令のどれかに抵触し罰せられる。結果、精神が不安定となり、無条件に支配される状態を受け入れていく。

 

ダブルバインドセオリー

もともとは1956年にグレゴリー・ベイトソンによって発表された理論。家族内コミュニケーションがダブルバインド・パターンであると、その状況におかれた人が統合失調症に似た症状を示すようになると指摘している。

理論の内容
・2人以上の人間の間(上下関係をともなう)で繰り返され
・最初に否定的な命令が出され
・次にそれとは矛盾する第二の否定的な命令が、異なる水準で出される
・そして第三の命令はその矛盾する事態から逃げ出してはならないというものであり
・ついにはこのような世界を全てとして考える

そして以下のような症状が現れる、とした。
・言葉に表されていない意味にばかり偏執する(妄想型)
・言葉の文字通りの意味にしか反応しなくなる(破瓜型)
・コミュニケーションそのものから逃避する(緊張型)

 

「なんでも相談しなさい。」と普段から言っている上司に聞きにいくと「もっと自律的に動きなさい。」と嫌な顔をされるけど、相談せずに進めると「なんで詳細に報告しないのか。」と責められるという話はよくある。ポイントは最初から基準を明確にしないことで、強い立場の人間が後出しじゃんけん可能な枠組みになっており、何らかの罰則を与える権利を常に有する状態になっていることが多い。上記の例だと権限と責任の範囲が明確ではない。その目的は相手を完全にコントロールする、または自身には責が及ぶことがないようにする、ことでしかない。いわゆるパワハラダブルバインドの状態であることが多い。

 

矛盾は連鎖する 

 

矛盾の板挟みになることが、うつなど精神に問題を抱える原因のひとつになるといわれている。ダブルバインド統合失調症患者の家庭を調査した結果、見つかったパターンで、世代間連鎖することも知られている。被害者が加害者へとかわるわけです。ダブルバインドはカルト集団でもみられますがこちらも連鎖することが知られている。体育会系のしごきや封建時代の身分制度も同様の性質をもったものですが、すべて連鎖が観察される。

 

ポイントは、連鎖の当事者は無意識に当たり前ののこととしてダブルバインドを他者へも強要することです。体育会系出身者は矛盾に強いと言われている。理由は矛盾状態に慣れていて対処する経験を有しているだけではなく、他者へ矛盾を転換し自身の精神状態へのダメージを軽減できることにもあるのかもしれない。社長がパワハラまがいで怒鳴りつけるような会社は下も同じように自分の部下に対し怒鳴りつける。

 

矛盾の連鎖を断ち切れなくとも軽減させればよい

コストと価格など、ビジネスの世界では矛盾する要素を両方要求されることが多くあります。矛盾というのは必ず存在するもので、その矛盾を解消できるる能力が、企業および個人の価値そのものにつながります。経営陣や顧客は一見矛盾した要求を出してきます。現場へとつながる要求の連鎖の中でダメな上司は矛盾や仕事を増幅させて部下に要求を伝えるが、よい上司は矛盾を軽減させて部下に要求を伝えます。矛盾を軽減できるかどうかが上司としての能力そのものだと自分は思っています。

 

さきほど出てきた「なんでも相談しなさい。」といいつつ、相談してもしなくとも怒る上司ですが、その上司もそういう育て方をされてます。それ以外の方法がわからないし考えようともしないのです。そのような職場は、ノウハウや業務フローが個人の頭の中にしか存在しないから自律的に学習しようもできないし、情報の共有ツールや手段が確立されていなかったりします。上司が考えるべきことは、同じやり方を押し付けることではなく、学習教材の準備や情報共有手段の確立といったことなのです。

 

矛盾の強要の連鎖が見られる組織は昔であれば確かに強固で競争力があったかもしれませんが今の時代では通用しなくなってきています。矛盾の塊であるブラック企業は長い期間、競争力を維持し続けることは困難でしょう。同じ仕事量でも以前よりそれに関わる人は減り、機械やコンピューターが担う部分が増えてきます。彼らは矛盾した命令なんて受け付けません。また外国の方を相手に仕事することも増えるでしょう。今後も、よりロジカルな方向に動いていくのです。

 

自身が所属する組織の様々な連鎖の中で、自身が矛盾を拡大させてるのか軽減させているのか考えてみたらどうでしょうか?連鎖の当事者は無意識です。

 

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北欧の働き方1

国際比較するとノルウェーフィンランド・スェーデンといった北欧の国々が労働生産性(時間あたりに生み出す付加価値)で世界の上位にランクインしている。
効率よくお金を生み出している北欧の人たちの働き方は日本と大きくことなる。彼らはライフワークバランスを重視しており、毎日帰る時間も早ければ、有給の取得もしっかりおこなう。地下資源に恵まれず、技術と人材が全てといったとことは日本と共通しているのだが、必死に働いている日本人よりもずっと効率良くお金を生み出している。

フィンランド流6時に帰る仕事術」を読んで、確かに書いてある通りの社会・会社だったら論理的・効率的に仕事が処理できて定時に帰れるのかもと思った。会議とメール処理に追われて、気が付いたら定時という人は多いと思うけど、「やらなくていい仕事をやってるし、また他人に対して作っているせいなんだよな」と痛感した。「できません」とか「面倒です」といった発言が必ずネガティブに受け入れ、禁句になってしまっている日本社会全体の空気が労働生産性を下げているのだと思う。

印象に残ったことを列挙すると
・何があっても6時に帰ると決める
何事も必要があってこその工夫が生まれるから、必ず6時に帰ると決めることがまず重要。

・集中力がアップする職場環境やアイディアが生まれる仕組みを作る
辛い環境でも頑張るのは美徳ではない。まずは環境、仕組み作りから。

 

・会議やホウレンソウの時間を減らす
日本と真逆。管理にかかる手間はバカにならない。しっかり部下と話し合って計画を立て、締めるところは締めるが実行フェーズでは部下になるべく任せることが重要。欧米では発言の機会のない会議には参加しないのが普通。社内ネットなどを利用し参加しなくとも内容を把握できるような仕組みを利用するべき。上司の時間節約のために部下一同を集めた、報告会なんていうスタイルはやめた方がよい。また質問に答えるために部下を同席させるようなリーダーもいけない。リーダーは自分で答えられなければいけない。

 

・忙しい快感から脱却する
忙しいとあたかも仕事をやっている気になりそれだけで快感が得られる。快感に流されず、忙しいだけではなく価値あることをしているか立ち止まって考えることが重要。

 

・特に納期が忙しい時日本人は考えもせずに作業に入ってしまう。フィンランド人は約束は必ず守るが、約束する前に、それができるかどうか、よく分析し、計画してから引き受ける。
「とりあえずやってみます」が日本の美徳。これではお願いする方も価値あるかどうかなど考えず仕事を振ってくる。無駄な仕事を生み出し、時間をとられてしまう。

 

根底には、フィンランド人のシンプルな生き方と考え方がある。本の後半にはフィンランドの歴史と文化の紹介があり大変納得した。

 

ある家具商人の言葉〜IKEA〜

イケアとは

「より快適な日々をより多くの方々に」という言葉がイケアのビジョンである。イケアは1943年に北欧スウェーデンの小さな雑貨屋からはじまり現在は世界最大の家具販売業者となっている。イケアの名前の由来は創業者の名前「イングヴァル・カンプラード」と彼が育った地名の頭文字をとったものである。日本にも現在8店舗オープンしている。

 

イケアのビジョンは1976年に創業者により「ある家具商人の言葉」という文書で定められている。今回はこの言葉を紹介する。

「ある家具商人の言葉」

1.イケア製品—当社のアイデンティティ
できる限り多くの人々が買うことができるように、廉価でよく設計された機能的な家庭用具製品を幅広く提供する。
2.イケア精神。力強く生き生きとした毎日
3.利益は私たちにリソースを与える
4.わずかなリソースでよい結果を得る
5.簡素化は美徳である
6.違う方法でやってみる
7.一つに集中することが成功の秘訣
8.責任を取ることは特権である
9.ほとんどのことはまだ手つかずだ。輝かしき未来!

 

「シンプルであること、機能性、平等性、責任を喜んで引き受けること、チャレンジすること、長期的視点」これらの考え方からは、いかにも北欧らしさがうかがえる。グローバル企業となった現在でも北欧にルーツをもつアイデンティティーが重要視されている。

 

様々な資源が一握りの金持ちを満足させるために費やされており、素晴らしいデザインの家具は金持ちしか買うことのできないとイケアは考えている。安価で良質な家具を多くの人々に届けることで、多くの人々の暮らしを豊かにしていくことがイケアのビジョンである。

 

「規模の拡大、強いコスト意識、客みずからが組み立て・運ぶ」これらのイケアの特徴はすべてがビジョンを達成するためのものであったと知ると倉庫のような無機質な巨大なイケアの店内もとても温かみのあるものに思えてくる。揺るぎないビジョンのもと企業として成長を続け世界中の様々な国で家具を提供するにいたっている姿はたいへんにすばらしい。行ったことのないひとは是非一度足をはこんでみてはいかがだろうか?また行ったことがあるひともIKEAの創業者やCEOの本を読んでから再度出かけると印象が変わるのではないだろうか?IKEAモデルでは理念をもって経営にあたることのメリットが多く述べられている。

 

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仕組みつくりの三大美徳「怠惰、短気、傲慢」

プログラミング言語であるPerlの作者Larry Wallプログラマーがもつべき三大美徳として「怠惰、短気、傲慢」をあげている。プログラミングに縁のないひとには全くピンとこないかもしれないが普段の仕事においても通じる事だと思われる。小飼弾の仕組み進化論を読んだ感想をベースにプログラマーの三大美徳をなるべく普通の言葉で説明してみる。

怠惰

繰り返しは反射的に忌み嫌うべき。周りを含め、同じ作業の繰り返しを見たら、仕組み・システム・道具をつくることで置き換えることを模索すべき。怠惰な人間は、たとえ仕組みをつくる労力が繰り返しの労力を上回ろうとも、喜んで新たな仕組みをつくることを選択する。これが長い目で見ると進歩につながっていく。また人間が繰り返し作業を行うとミスの引き金となるので、仕組みや道具で置き換えできるなら人間に行わせるべきではない。ただし何も工夫せず、そのまま他人に押し付けことはここでいう怠惰とは言わない。

 

短気

「気の利かない道具」「不便な仕組み」と感じたら、我慢せず怒りを感じ行動をとるべき。怒りを感じずに不便を受け入れる気長なひとは、他人に対しても知らず知らずのうちに不便を強要する。このような人は他人が発する面倒という言葉に嫌悪感を示し、改良・改善の芽を摘み取っていく。短気な人であれば、将来的に問題が起こらないような道具や仕組みをもとよりつくるであろうし、将来的に問題が起こりそうと感じたなら積極的に改善していく。

 

傲慢

誰にでも誇れるシステムや仕組みをつくりを目指すべき。そのような仕組みは、利用者の考えや行動を見通し、いろんな意味でよくコントロールされている。中途半端・使いづらいシステムは、長い目で見ると維持に労力を要する金食い虫か、無視され違うものに更新される役立たず、暴走する問題児かのどれかである。維持コストが低く、使いやすく、安全なシステムは利用者に多大な恩恵をもたらし続ける。

 

現代は様々なことが進歩していて、少人数で大勢が必要とするものを効率的に作り出すことができるようになっている。価値を認められるのは効率的な仕組みを生み出すことができる少数の人々であり、格差の原因ともなっている。

 

プログラマーは仕組みつくりの達人であり、プログラマーの三大美徳はの基本原則と考え取り入れていくべき。

 


小飼弾 404 Title Not Found - #1 プログラマーの三大美徳その1「怠慢」:ITpro

 

業務改善の4原則(ECRSの原則)「本当に必要なの?」から考える。

クラシコムはECサイト「北欧、暮らしの道具店」を運営している。高い成長率と全員が18時には帰宅するという、扱っている商品だけではなくワークスタイルも北欧風という素敵な会社。

hokuohkurashi.com

クラシコム式ワークスタイルを推進する、5つのポイント
1.本当に必要なの?と考える
2.仕事を詰めすぎない
3.エラーには寛容に
4.お互いに影響を与え合う
5.自由・平和・希望の土壌を整える

www.lifehacker.jp

いくつか勉強になることはありましたが、今回は印象に残ったECRSというワークフレームについて以下紹介。

 

青木:最初に考えるべきなのは、「それ、本当に必要なの?」なんです。時間が限られているので、そもそもやらなくても成立する方法があるのかどうかをまず考えています。
青木:なにか成果が上がっていない業務があると「どう効率化するか?」から検討することが多いのですが、最初に考えるべきなのは、検討の対象となっている効率が上がっていない仕事をそもそも「なくしてしまえないか?」と考えることです。北欧の企業や、ビジネスパーソンの考え方として、この「そもそも」を問い直す力があるのは、個人的には1つの特徴だと感じています。北欧について日本に帰ってきていろいろ調べてみると、1人あたりのGDPは日本よりもはるかに高い。そういう成果は彼らが僕ら以上に優秀だからというよりは、少ない人口でも大きな成果が出せるように「やらなくていいことをとことんやらない」という姿勢や取り組み方によるものであると感じます。

 

ECRSという原則

これはもともと製造現場で工程改善を行う際に用いられる原則で製造現場だけではなく家事やオフィスワークでも有用な考え方。

E:Eliminate(排除)→そもそも必要なのか?なくせないか
C:Combine(結合)→(必要であれば)似たような作業や他の作業とまとめてできないか?
R:Rearrange(交換)→(まとめることができないなら)順番を変えたり他の作業で置き換えることで効率があがらないか?
S:Simplify(簡素化)→(交換できないなら)作業をより簡単にできないか?

 

上から順番に改善効果が大きいので、上から順番に検討していくことが基本となる。いくらC,R,SをうまくやったとしてもEの効果にはかなわない。いきなり簡素化、効率化に走ってしまうひと、多いのではないだろうか?「やる必要のない仕事を効率化することほど無駄なことはない」とドラッガーも言っている。まずは課題や業務を与えられたら、いきなり作業の効率化に手をつけず、そもそもやる必要があるのかというところから考えていかないと生産性はあがらない。

 

つまりは上司の指示に対して以下の順に確認していきなさいということ。

E:Eliminate(排除)→この仕事やって意味があるんですか?
C:Combine(結合)→すぐやる必要ありますか?後でまとめてやっていいですか?
R:Rearrange(交換)→違う方法の方がよくないですか?この段取り違いませんか?
S:Simplify(簡素化)→非効率的ななやり方ではないですか?

 

とはいえ「言われたことにすぐに全力で取り組む」ことを正義としてるであろう多くの職場ではECRSの原則なんか馬の耳に念仏で、黙ってとっととやれと言われるだけかもしれませんが。

 

哲学をもつことの重要性

哲学をもって生きることが大事だとおもう。哲学とは難しいことや崇高なことである必要はなく自分なりに筋道の通った考え方のことで、筋道の通った考えをもつと結果として判断がぶれなくなる。ぶれていては波に飲み込まれないようにもがき続けるか、飲み込まれるかどちらにしかならない。株式投資で損切りなどの判断基準をもつことの重要性と同じで、長期的に見ると、ぶれていると大損することになる。また哲学をもつことは自分をつくりあげるということと同意義で、哲学をもつことは成功するための手段でもあるが、人間の生きる目的そのものである。

哲学とは

一般的な用法としてたとえば野球を例にしてみると「野村監督の野球哲学」という言い方がされます。この時意味されているのは、野村監督が「野球」というものの「本来的なありかた・本質」をどのように理解し、また現実の野球の姿をどのように見て、どのようにしていかなければならないかについての「筋道だった考え方」がある、と見られた場合にこのような言い方がされているのです。

同じように、人のあり方についても良く「哲学を持て」と言われるのですが、それは「自分は人生をどのように考え、どのように生きていこうとするか」についての筋道だった確固たる考えを持てという言葉となります。

http://www.ozawa-katsuhiko.com/17nyumon/nyumon_text/nyumon01.html

 

ただし、哲学はまた正解のない学問でもあります。大学の授業や演習を通じて提示されるものは、自分なりの答えを見出すためのヒントや可能性です。その上に立ち、何をどう考えるのかは個人の自由です。

哲学コース | 早稲田大学 文学部

 

哲学に唯一の正解はない。それぞれの哲学に基づき、どのようにしていかなければいけないかという理想の姿が理念となる。哲学に正解はないが、「筋道だった確固たる考え」でなければ哲学ではない。

 

哲学・理念の利点

会社経営において理念が大切だと言われる。組織において皆が向いている方向がばらばらだと個人個人に力があったとしても打ち消し合い全体として力を発揮することはできない。逆に全員の方向性があっている場合は個人個人の力は小さくとも組織として大きな力が発揮出来る。理念は個人個人のベクトルを一致させるものであり、逆にベクトルが違う負の効果をもたらす要因や人を排除する拠り所ともなる。これは組織だけに言えることではなく個人の人生の選択においても同様である。選択はつねにどちらが正しいというわけではなく、意思をもって選択できるということが後々その選択を成功という結果へと繋げるために大事なのだ。理念は正しければよいというものではなく哲学同様、筋道の通った解釈ができなければ、ベクトルあわせの役には立たない。

手段ではなく生きる目的そのもの

成功するための手段としての一面を書いてきたが、哲学をもつということは「あなたらしいあなたになるという」ということなのだから、哲学というのは生きるための手段ではなく目的そのものなのだと思う。

 

困難な選択とは、個性を持った人間としての自分自身を成す、大義名分を作りだす力を持っています。それゆえに、困難な選択とは呪いではなく、神からの贈り物なのです。

 

 

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直感とロジカルシンキングの関係。片方だけでは足りない。

ロジカルシンキングの弱点

どんな課題でも論理的に考えれば正解にたどりつけるという考え方はロジカルシンキングによくある誤解である。複雑なこと、あまり解明されてないことはロジカルシンキングが得意としないことであり、直感に劣ることもある。「直感の7割は正しい」とは将棋の羽生善治名人の言葉。

例えば、スーパーコンピューターによる天気予測は論理の塊だが、人間が直感によりスパコン同様の結論を導くことができたとしても、ロジカルシンキングで同じような結論にたどり着くことは決してできない。人間の計算力や把握力には限界があるからだ。将棋の場合、現時点ではトッププロとコンピューターが互角であり数年後にはコンピューターが上回ると予想されている。将棋においては、一つの局面で80くらいの選択肢があると言われており、数手先でも組み合わせとしては膨大な数となる。普通のひとではまともに計算しようとすると頭の中がパンクしてしまう。膨大な計算を省略し、過去の経験に基づきパターン抽出&認識から直感で正解にたどりつくことができるのが人間の長所でもあり、この能力を利用しないのはもったいないことである。

【レポート】日本認知科学会特別講演 「将棋と認知科学」(1) | マイナビニュース

 

またロジカルシンキングは根拠となるデータや論理展開にあいまいさは許されない。しかし未解明の複雑な事象において正確な観測データを取得するということは簡単なことではない。まだよく解明されいないことにおいて、理論や仮説など様々な意見や見解があることが普通だが、このような場合、論理展開をしていくことは難しい。

ロジカルシンキングの弱点を考えてみた:ロジックを超えたロジックの話 | メタップス社長のブログ

 

将棋の上達方法

将棋の上達方法は三つある。「実戦を重ねる」「プロの将棋を並べる」「詰め将棋を解く」である。

プロの将棋を多く並べることで、正しい感覚を磨いていく。感覚を磨くとは、筋の良い手か悪い手か、考えなくとも一瞬で判断できるようになること、つまりは直感力を鍛えることにある。最終盤を除き、将棋のすべての展開を読み尽くすことはコンピューターでもできない。必ずどこかで読みを打ち切る必要があるのだが、大事なのは読みを打ち切った局面の優劣をただしく判断できることである。これは大局観といわれ感覚的なものであり、大局観が優れているひとほど将棋が強い。

詰め将棋とは正解の存在する計算問題で、感覚的なこともさることながら計算能力が鍛えられる。


「将棋電王トーナメント」をより楽しむために読んでおきたいコンピュータ将棋の魅力&知識、そして注目ソフト (1) 基本的な要素は「大局観」と「読み」の2つ | マイナビニュース

 

直感とロジカルシンキングは相補的な関係

羽生名人も「直感だけに頼ると雑になる」と言っている。つまりは直感だけに頼ると直感自体の精度が落ちていく。直感を鍛えるには、ロジカルに直感を検証し続けることが重要だということである(検証にはロジカルシンキングは向いている。)。素人の直感はぶれやすく、同じ場面でもそのときの精神状態などで別の判断をしてしまうケースが多い。直感はパターン認識とも言えるが、プロの直感は同じ場面で同じ判断ができる、つまりは裏付けとなる何らかの法則なりルールが確立しているということでもある。

また7割は正しいということは直感の3割は間違えということで、二回続けて正解する確率は5割ということでもある。一回でも間違うと終わりということならば正解率7割では心もとない。将棋のプロは1手10秒の練習将棋でも、直感である程度の正解手を選ぶことはできる。しかし正式な試合はタイトル戦などでは二日かけて行われる。一手一手直感をロジックで検証していくことにより正解確率を上げている。

 

ジョブズの有名なスピーチの一節

「好奇心と直感に従って得たものが、後になって貴重な価値あるものになった。」

「先を見て、点を繋げることはできない。
だから将来その点が繋がることを信じなければならない。」

点を繋げるということージョブズ伝説のスピーチ | jo-ji.net

 

この世界はすべてをロジカルに予測できるようなつまらない世界ではない。自分の直感を磨き、磨かれた直感に従えるまでになるべきだ。

 

 合理的な選択ばかりの世界は、狂気に満ちている

この様に困難な選択についてきちんと理解すると、私たちが自分自身について知らなかったことが見えて来ます。私たちにはそれぞれ、大義名分を作りだす能力があります。ちょっと想像してみてください。全ての選択が容易にできる世界を。それはつまり、最善の選択肢が常に存在する世界です。

容易な選択肢のみに満ちた世界とは、私たちを大義名分の奴隷にする世界です。

そのように考えれば、「与えられた大義名分の元でこの趣味に没頭するべきだ」「この家に住むべきだ」「この仕事に従事するべきだ」などと考えるのは、正気の沙汰とは思えません。

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